論語は何か難しい教えがまとまったものと思っている人が多いのではないでしょうか。論語は主に孔子と弟子との対話集です。子曰く(しのたまわく)とは、孔子先生が言いましたという意味です。
子は先生のことです。弟子の質問に答えている章句もあります。内容も人生の教えに関しても書かれていますが、孔子と弟子との間の情愛やそれぞれの人間性が感じられる章句もたくさんあります。2000 年以上に論語が親しまれているのは、そういった人間臭い面もほほえましく感じるからではないでしょうか。たとえば、孔子は必ずしも禁欲的なだけではなく「大酒飲みだが乱れない」と論語の中に書かれています。顔回(がんかい)というもっとも期待していた弟子が無くなった時には「天は私を滅ぼした」と大泣きして取り乱しています。孔子が色っぽい人妻と二人だけで会ったことを弟子に責められた時は「私は決してやましいことはしていない」と同じことを 2 度も言ってむきになって否定しています。怪しい。
今月の論語
子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る
意味は「立派な人は、道理(正しいこと)を考えて行動するが、つまらない人は、自分の利益ばかりを考えて行動する。」仕事もプロジェクトも利益を考えることは必要ですが、その前に相手(顧客)の利益や喜びがあってのことです。儲かりさえすれば何をしても良いとの風潮は醜いです。自分の利益ばかりを優先しても上手くいくわけがありません。
子曰く、過(あやま)ちを改めざる、これを過ちという
意味は「間違ったことを改めないことを、過ちという」です。この章句の意味は分かり易いです。一度は聞いたことがあると思います。人は神様ではないですから、だれでも必ず間違います。間違ったことをすぐに認めて改めることが大切だということです。分かってはいてもなかなか自分の過ちを認めることは難しいことです。最近は、有名人などが発言したことに対して、ネットが非難で炎上したり、マスコミが異常なほど叩いたりします。私は自分のことを棚に上げて、人を非難することは嫌いです。批判的否定的な人と一緒にいても楽しくありません。
<余談 1>
今月ある大学の学生達に90分×4回+宿題でPM の講義をしています。プロジェクトのテーマは文化祭です。みんな明るくて元気で前向きです。教えている私も楽しくなってしまいます。多くの人の学生時代はこんな感じだったのではないでしょうか。それが企業に入るといつの間にかみんな難しい顔をしだして、元気がなくなってしまう気がします。なんか寂しいですね。