経済学者が10人いると経済政策は11あると揶揄されるが、翻訳の世界でも翻訳者が10人の翻訳者がいると訳文が11人のあるといえるぐらいだ。例えば、ヘミングウエイの『老人と海』の一節 “Everything about him was old except his eyes and they were the same color as thesea and were cheerful and undefeated.”は、翻訳者によっていろいろな訳文がありうる。福田恒存は「この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。」と見事に訳している。ここで、except の語を辞書に忠実に、「~以外には」とやる方法もあるが、それでは文章に力が出ない。福田が「ただ眼だけがちがう」としたのには、それなりの割り切りがあったろう。翻訳語の選択について、著名な翻訳者・小林薫先生に「もっと図々しく。This is what I think. でよい」とのアドバイスをいただいた。それによって、翻訳作業が進むきっかけになったことがあら。
それに通じることだが、物事の活路を開くうえでも「適度な図々しさ」が大きなきっかけになるのではないだろうか。私どもが主催する研修でも、講師や他の受講生の迷惑を顧みず、図々しく講師を質問攻めにして、疑問点を解決し、抜群の研修効果をあげる受講生がいる。アカデミアでは、日本で研究を重ねて学者となることで満足する人が多い中で、外国の大学院に進むことを選び、そこで博士号を取得し、国際的な活躍をしている学者がいる。ビジネス界でも、学生時代に「自分は将来会社を起こす」と図々しく宣言して周りを唖然とさせ、あとになってその夢を実現させた経営者がいる。
こういう行動は、正規分布の中心にいる人の行動ではない。中心からどちらかに外れたところにいる人の行動であり、リスクがともなう。こういう行動を抽象語で「積極性」いうが、平易な日常語にすれば「適度な図々しさ」にあたる。そして、「適度な図々しさ」にはそれなりの割り切りが必要であり、そこに最高の自分になるひとつのカギがあると思う。
以 上