僕の色ざんげ:大地震の夜の出来事

2011/03/28 中嶋 秀隆

東日本大震災の揺れを僕は、パートナーの浅見さんと一緒に東京汐留の客先で研修をしていた最中に感じた。目の前の御台場のテレコムセンターから黒煙があがり、眼下に見え3つの鉄道線路が見えるが、新幹線も山手線も動いてはおらず、モノレール“ゆりかもめ”も止まってそのレール上を一般人が徒歩で戻ってくる。

早々に研修を切り上げ、浅見氏と一緒にタクシーで帰途につく。僕は宿泊先である東京ドームホテルの近くで降ろしてもらい、中華料理店で夕食を摂る。徒歩でホテルに戻ると、ロビーは大勢の人でごった返している。宿泊客は全員がいったん部屋から出て、安全が確認されるまでロビーに待機しているとのことだ。僕もそこで1時間ほど待つ。

やがて入室が許可され、いつもは使わない荷物運搬用エレベーターに乗り込む。晴れ着姿の娘さんとそのお母さんに同乗。母子は地震の瞬間に九段会館での卒業式に出席中で、天井が一部崩れ、死者やけが人が出たとのこと。ともかく「卒業、おめでとう」と言う。

部屋に戻ると、地震と津波のTV報道に釘づけになる。宮古で少年時代に初めて魚を釣り上げた岸壁の後ろにある高い防波堤を、黒い波が漁船を運んだままラクラクと超えている。ただただ驚く。

深夜12時ごろ、23階の部屋の窓から東京の街を見ると、外堀通りも白山通りも渋滞している。ふと思いついて、パジャマの上にトレンチコートをはおり、1階ロビーに降りると、そこには、帰りの交通を失った百人以上の人が、椅子に腰かけたり、地面に寝そべったりして、暖を取っていた。朝までそこで過ごすとのことだ。

幸い僕の部屋にはベッドが2つあり、その1つが空いている。そこで年配の女性2人に声をかけ、部屋まで案内し、空いていたベッドで朝まで眠ってもらった。

翌朝、お2人はバナナを半分ずつ食べ、丁寧に礼を言って、帰っていった。僕のことを「息子と同じくらいの年齢」と言っていったから、2人は80歳ぐらいなのだろう。つまり、僕は80歳の女性2人と一夜を過ごしたわけだ。でも、これでは何のインアクトもない。そこで、この話を仲間にする時は「80歳の女性2人」というところを、「20歳の女性8人」と読み替えて、皆をうらやましがらせることにしよう。掛け算をすれば、同じ値なのだから。
以 上