桜と梅

2006/04/05 香月 秀文

桜の満開の季節となりました。日本人の心の拠りどころとなる代表的な花といえます。桜は集団の美の象徴といえるのではないでしょうか。
一つひとつの花は特別に強力な主張をしていませんが、それがいっせいに花開き、また100本ー200本と木が集中すると、ものすごいアピールとなります。
ひところの世界経済における日本の躍進を象徴するようです。また満開の時期には天候が比較的不安定で、一気に咲いて一気に散ってしまうのも、潔さの象徴かと思います。桜は日本人の武士道のバックボーンと考えられます。
桜の季節の前に梅の季節がありますが、桜ほど注目されないようです。また集団で花の下で宴会をするというよりも、個人個人が静かに楽しむという鑑賞の仕方が多いようです。桜に比べると地味な存在です。また梅の季節は桜の季節より少し早いので気温から言っても外での宴会は適さないのかもしれません。桜が武士道に対して、梅は商人道のバックボーンと考えてみました。
そうしたら梅という言葉で石門心学の祖である、石田梅岩を思い出しました。江戸中期において身分制度の中で最も低い地位にあった、商人の精神的支えを唱えたユニークな学者です。
米経済から貨幣経済への移行が始まっていた江戸中期の時代背景の中で、商人の役割を明確にして商人の立場を支えた功績があります。
梅岩は商人とは「社会における流通経済の担い手であり、その役割はきわめて重要である」としています。武士は主君に仕えて俸禄を得、商人は万人に奉仕して利益を得るのであるから、正しい商いをしてこそ継続的に一定の利益が得られると説いています。
梅岩は心を磨く材料であるならば、儒教、仏教、道教、神道,国書のいずれの教えにせよ、「どれをも捨てず、どれにも執着せず」と言う態度で、偏見なく活用したと言われています。非常にプラグマティックで実学的な考え方です。トヨタを中心とした中部経済の活発さに比べて、関西経済の不振が取り上げられますが、京都を中心として関西経済の復活を考えるときに、石田梅岩の石門心学が拠りどころとなるかもしれません。その兆候として百貨店ビジネスをみてみますと、逆風の中にあった百貨店業界の中で一時期低迷していた、大丸百貨店の好調な様子があるかと思います。