自笑と外国語

2017/10/15 中嶋 秀隆

 レジリエンス(再起力)の中核に、自分を笑い飛ばすことがある。これは、自嘲でも卑下でもない。自分を価値ある存在として認めつつも、不完全でかっこ悪い点が少なくないことを認める姿勢だ。学校教育やビジネスの現場では、正解に注力するあまり、不正解に意味を無視しがちであり、自分を笑い飛ばす場面はあまり多くないようだ。
 だが、外国語の学習では自分を笑い飛ばすチャンスがふんだんにある。一定期間、身を入れて外国を学ぶと、気が付くことがある。それは、どんなにやっても、その効果には限界があるということだ。私も半世紀以上にわたり英語と格闘し、そのおかげで、英語の映画や小説・随筆を楽しみ、国際ビジネスの現場を数多くこなし、英語の書物の翻訳書を発刊していただいている。あるとき、親しい米国人から指摘されたことがある。「君が話す英語には the が多すぎるね」と。こちらでも、自分が話す英語で冠詞と使い方と時制の一致に不備があることは、百も承知である。そして、収穫逓減の法則によれば、そこで完璧を目指すのは有効ではない、と開き直っている。というわけで、その辺の不備は、笑うしかない心境だ
 米国を一人旅していた日本人が、ニューヨークからシカゴまで汽車で行くために、駅の窓口で切符を買おうとした。
“To Chicago”
というと 2 枚の切符を渡された。そうか、to ではなく for が正しいのかと思い、
“For Chicago”
 というと 4 枚の切符を渡された。
困った彼が、「えーと」というと、8 枚の切符を渡された。
 こういうトンチンカンなやり取りが、外国語のコミュニケーションではよくある。日本語で苦労している外国人も同様だ。
 上智大学のドイツ人の先生が、東京駅からバスに乗った。運転手さんに「四谷についたら、降ろしてください」というつもりで「四谷についたら、殺してください」といった。運転手さんが彼のリクエストを聞き入れなかったおかげで、彼は今も元気に教鞭を執っておられる。その彼は魔法瓶を買いにスーパーに行き、店員さんに「未亡人をください」といったそうだ。
 このドイツ人には同情の余地がある。彼は日本語をアルファベットで記憶しており、「降ろしてください」OROSHITE KUDASAI と「殺してください」KOROSHITE KUDASAI の違いは、冒頭の K の有無のみである。MAHOBIN と MIBOHJIN は、どちらも M で始まり、IN で終わり、語の中に HOB を含むなど、共通点が多い。
 自分を価値ある存在として認めつつも、不完全でかっこ悪い点が少なくないことを認めるよう。そのほうが、気楽で楽しい。そして、レジリエンスを高めるためにも、外国語の学習にチャレンジしよう。