困りながらも、追記その 1

2016/06/15 中嶋 秀隆

 経済学者・猪木武徳先生が新著『自由の思想史』で自由民主主義(リベラル・デモクラシー、自由社会)における「自由」と「平等」の関係を取り上げている。そして、本来、「自由」を優先しながらも、自由がもたらす歪みを「平等」という価値により補正する政策を展開するものだという。そこで「なんとか切り抜ける」(muddlingthorough) 姿勢が求められるという。そこを紹介しよう。

 その自由社会のなかでも、さらに様々な価値意識を持つ人々が生活している。そこでは異なる価値序列をもつ人々が時に激しく対立する。しかし物理的な力でそれらの価値の衝突を解決するのではなく、それぞれの価値を尊重し合い、「共存する意思」を示しつつ知恵を出す最大限の努力をすることによって、どうにかこうにか秩序を保つのがリベラル・デモクラシーという体制なのである。そこでは「なんとか切り抜ける」(muddling through) ための時間と忍耐が求められる。

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 この指摘は、プロジェクトマネジメントについて筆者が前に書いた拙文「困りながらも」と軌を一にするものでなないだろうか。僭越ながら、そのように思う。ここにあらためて引いておこう。

「困りながらも」
2014/4/14
 プロジェクトは一般に、1)立上げ、2)計画、3)実行、4)監視・コントロール、5)終結という流れで進むのが望ましいとされる(例えば、PMBOK®第5版)。たしかに、開始と終了という2点を最短で結ぶとしたら、直線を引くことが、無駄がなく最も効率的だ。
 とはいえ、もろもろの事情が絡んでくると、物事は単純ではなくなるし、それが現実のプロジェクトだ。制約条件がのしかかることもあれば、前提条件が当てはまらないとあとになって判明することもある。そして、見積りは必ず外れる。「見積りは難しい。とくに将来のことについては」との警句の通りだ。
 だからといって、難局にぶつかったとき、闘いを放棄したのでは、プロジェクトの成功は望むべくもないし、プロジェクト・メンバーの成長のチャンスをみすみすやり過ごすことになる。
だいぶ前のことだが、数学者・森毅氏がどこかで「困りながらも、やりとげることが大切」とおっしゃっていた。畏友・秋山進氏もごく最近の紙面の中で、「あたふたと仕事しよう」「生きているって、予期せぬ状況の中で慌てふためいて、自分が予想しないものに変っていくことではないか」と言っておられる。(朝日新聞、2014 年 3月 30 日)。
 プロジェクトの改革策定では、2点を最短で直線を引く(いわゆる、「ベースライン」)。しかし、実行現場では、その直線からしなやかに外れることを躊躇しない。それが、フレキシブルということだ。そしてひと山越えたら、当初に引いた直線に必要な修正を加えて、再び終了をめざす。大切なのは、状況がもたらすさまざまなリスクを楽しむことであろう。