先月の続きである。今回は、旧東海道を島田宿~沼津宿まで歩く。
この工程では、峠越えが2カ所ある。旧東海道では、難所と言われている峠越えは、箱根峠と鈴鹿峠そして小夜の中山峠の3つの峠である。この3峠に匹敵する峠が、今回通った2峠でそれは丸子宿と岡部宿の間にある宇津ノ谷峠と、由比宿と興津宿との間の薩埵(さつた)峠である。実際に歩いてみれば、この二つの峠は箱根峠に及ばなくても、鈴鹿峠と小夜の中山峠に勝るとも劣らない急峻な峠であることがわかる。現代のように整備された道を歩くのとは異なり、砂利道を草鞋で歩いたことを考えれば、これらの峠越えは東海道を旅する旅人には相当に厳しい道程だったと想定できる。
今回の歩きは、単に旧東海道を歩いてみる事の他、特に目標があった。それは、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」に出てくる風景を体感することである。
それは「油井 薩た嶺」「丸子 名物茶屋」そして「岡部 宇津之山」の3つの風景である。特に、「油井 薩た嶺」は現在でも広重が描いた当時と同じ風景を目にすることが出来るといわれている。今回は天候にも恵まれ、「岡部 宇津之山」現在の宇津ノ谷峠を越えた。宇津ノ谷峠には幾つもの道があり、古くは鎌倉時代に在原業平が名づけた「蔦の道」豊臣秀吉が小田原城攻めの為に作らせた道(これが江戸時代の旧東海道となる)がある。「丸子 名物茶屋」のとろろ汁は江戸時代からの名物。丸子宿にある丁子屋がそれであり、四百年前の古民家の丁子屋で四百年前からの名物「とろろ汁」を食した。丸子と書いて「まりこ」と読む。丸子宿は「まりこ宿」であることを今回初めて知る。本当に漢字は読み方が幾つもあり難しい。「油井 薩た嶺」現在の薩埵峠から雪をかぶった富士を目にすることが出来たのは、日頃の精進のお蔭、薩埵峠もルートが3つあり、一番古い下道は、地震や風雪での崩壊で今では通行不可能。中道は朝鮮から通信使の為に作られた道でこれが旧東海道として今に残っている。
いずれにせよ、3つの峠を制覇し、とろろ汁を食し、広重の世界を満喫したことで、今回は目標達成率100%の旅となった。