論理には出発点が必要

2006/07/31 津曲 公二

藤原正彦氏の「国家の品格」を読んだ。小生がかねてから整理できずにいた、論理と経験の関係について見事に解明する一冊であった。詳しい内容はここでは述べないが、「近代的合理精神の限界」から説き起こして「論理を徹底すれば問題が解決できるという考え方は誤り」であり、「論理に内在する四つの欠陥」を指摘されている。そのうちのひとつを次のように書いておられる。

論理には出発点が必要、つまり、すべての論理には出発点がある。まずAがあって、AならばB,BならばCと続く。このような論理のプロセスで最後にZにたどり着くとする。出発点がAで結論がZとなる。本欄の読者は、プロジェクトのネットワーク図を想像してもらうとわかりやすいと思われるが、出発点Aについて考えてみるとここに向かって来る矢印(矢線)は無い。
出発点だから当然である。つまり、Aなるものは「論理的帰結ではなく常に仮説である」。従って、仮説が誤っていればそこに至るプロセスが正しくても結論は誤りとなる。つまり、論理的結論といってもその出発点が非論理的に決まるものであるから、「内在する欠陥」となる。ちなみに「数学の世界では、出発点はいつも、何らかの公理系」なので、「何の心配もなく、論理的に突き進むことができる」と書かれている。

プロジェクト計画における、ネットワーク策定の出発点は何だろうか?
本欄でも繰り返し述べてきたように、それは「プロジェクト目標」、「最終成果物」や「成功基準」である。ここが上述したようにネットワークという「論理」の「出発点」となる。但し、やり方としては、矢印(矢線)を逆にたどっていく。最終成果物のためには何が必要か、その必要なもののためには何が必要か、というように逆にたどっていく。この出発点が誤っていれば、ネットワーク(プロジェクト計画)は誤りであり、プロジェクトは失敗の方向へ進む。この出発点が正しく適切に設定されれば、ネットワーク(プロジェクト計画)は正しく、プロジェクトは成功の方向へ進む。
ネットワークはプロジェクトの作業間の依存関係を構築するものであり、論理的な関係を説明するモデルである。プロジェクトの「最終成果物」や「成功基準」には、数学の世界における「公理」のような明快さが求められる。それほどに重要な存在であるから、これらがあいまいなままではプロジェクトの成功は覚束ない。プロジェクトを「何の心配もなく、突き進むことができる」ためには、正しく適切な「プロジェクト目標」、「最終成果物」や「成功基準」の設定が欠かせない。