プロジェクトマネジメントの国際大会がロンドンで開催される。それを機に、少し早めにロンドンに入り、汽車で 1 時間ほどのケンブリッジに S 君を訪ねた。ケンブリッジ大のキャヴェンディッシュ研究所で、物理学の博士号をめざす若手研究者だ。 5 年ほど前、日本の大学で私の授業に出てくれ、それ以来、何度か話をしている。同研究所はノーベル賞の受賞者を大勢、排出している。v 夕刻に会うと、S 君は徒歩で学内を案内してくれた。ケインズ・ホールや、ニュートンのリンゴの木(彼が万有引力を発見したとの噂あり)、 数学橋(釘を 1 本も使わずに建造された木造の橋)、孔子像(大学と中国との関係は深い)、時を食らう虫の時計(ホーキンズ博士にちなむという)、 イーグルというバー(1953年にDNAの発見が発表された場所)などである。道々、同大の卒業生である白洲次郎や、チャールズ皇太子が在籍したカレッジを見て、岡崎久彦(現実派の外交官)の話などをする。 チャールズ皇太子が日本の国会で演説した際、日本の王子が2人ともオックスフォード大学に留学したことに触れ、「英国国民にとって大きな喜びであります。 しかしながら、ご選考にあたって私の意見が求められていたら、ケンブリッジをおすすめしたでありましょう」(I might have advised him tochoose Cambridge.)と話された。 それを、名通訳者・村松増美氏が「私の母校・ケンブリッジを…」とやって、議場の喝采を浴びたことも話題にした。私の少年時代、故郷の岩手県で知事を勤めた千田正もここで学んだとのことだ。
夕食は S 君のアレンジで、幸いにも、彼が属するジーザス・カレッジでフォーマル・ディナーに参加させてもらった。彼を含む在校生の大半は、 黒いガウンを着用している。荘厳なハリーポッターの世界だ。会場のまわりの壁には、歴代の校長の絵が飾られている。教授陣は正面の一段上の席、 学生と来訪者はふつうの席に自由に陣取る。ドラの音とともに着席し、ディナーが始まる。メインディッシュは魚料理で、S 君が用意した白ワイン (ワインは持ち込みを許され、どのテーブルでもそうしている)をいただく。素晴らしい美味で、食事しながら『イギリスは美味しい』 というどなたかの本を思い出す。支払いは学生カードで S 君がしてくれ、恐縮しつつ、ご馳走になる。
S 君は私の期待をはるかに超えた、広い視野で活動している。物理の研究に打ち込むだけでなく、スポーツにも力を入れ、 大学のコールボール部で活動している。6月に香港で開かれるアジアカップには日本代表として参加するという。ケンブリッジ大学の 在校生がスポーツの国際大会の日本代表になるのは、おそらく、彼が初めてではないだろうか。アジアカップでの活躍も祈りたい。
ロンドンに戻る汽車の中で、35 年ほど前の出来事を思い出した。駆け出しのビジネスマンとして欧州に出張した際、ロンドンの ヒースロー空港で 5 時間、乗り継ぎ便を待つことになった。折から、大学院時代の友人H さんが、国際政治の研究でロンドン大学に留学していた。 H さんの行動パターン(いつも図書館に通い、受付の事務員さんと親しいはず)を把握していた私は、空港からロンドン大学の図書館受付に電話をかけ、首尾よく H さんを呼び出してもらった。彼はヒースローに来てくれ、そこで旧交をあたためた。
時代は離れているが、S 君も H さんは、幸運にも英国の大学で研鑽の機会を得た。そして、そこから新たな針路を切り開くことになる。わが国が英国の大学に負うところは大きい。
以上