職業としてのプロジェクト(その5)

2008/12/12 中嶋 秀隆

ビジョンを“過去形”で表す

企業経営では、大勢の社員の活動のベクトルを合わせるために、ミッション(存在理由)、バリュー(共通する価値観)、あるべき姿(狭義のビジョン)の3点セットを文書化し、トップから一般社員にいたるまで浸透させることを目指す。これをプロジェクトにあてはめれば、まずプロジェクト憲章を作り、それを実現するためのインフラストラクチャー(基本ルール)を整え、成果物を文書化する。さらに、プロジェクトの実務では、WBSを作成して作業の洗い出しを行う。同様に、個人でも自分ミッション(存在理由・人生の目的)、自分の価値観、自分が目指す姿(狭義のビジョン)の3点セットを文書化し、判断や行動の基軸としている人がいる。それはそれでとても意義がある。だが、ここでは、さらに一歩進めて、ビジョンを終わりから考えること、すなわち、ビジョンを“過去形”で表わすことを提唱したい。具体的には、自分の墓碑銘、自分の追悼文、元日の遺書の3つの形態がある。

(1)自分の墓碑銘を考える
ビジョンを過去形で表す最も簡潔な形が墓碑銘である。死者を埋葬し、その人を示すために、墓石や金属板に文章を刻む。この墓碑銘を刻む習慣は、民族や宗教を超えて広く行なわれているが、最近わが国では故人の氏名や死亡年月日だけのものが多く、それ以外の文章を刻み込むことは以前ほどさかんではないようだ。よく知られている墓碑銘には、次のようなものがある。
「書いた、恋した、生きた」(スタンダール)
「わが上なる星しげき空とわが内なる道徳律」(カント)
「船乗りは帰る、海より帰る猟師は帰る、
山より帰る」(R・スティーブンソン)
「生と死に冷ややかな目を向けよ
馬上の人よ過ぎ行け」(W.イェーツ)
「神よ、あわれみたまえ」(アル・カポネ)
「誰かが誰かを愛してる」(ディーン・マーティン)「私はこの世と愛する者としての争いをした」(ロバート・フロスト)
京都東山の法然院にはわが国を代表する作家、谷崎潤一郎が埋葬されている。しだれ桜の目元に安置された墓石には「空」と「寂」のふたつの文字が刻まれている。

(2)自分の追悼文を作る
追悼文は、墓碑銘より長くなるのが普通だ。1ページほどの長さで、故人の人となりや、経歴、故人への哀悼の言葉を文書にしたものだ。ここでは、自分のための追悼文を自分で書くのが、ポイントである。
K・ブランチャードとJ・ストーナーは、『ザ・ビジョン』の中で、保険会社を経営するジム・カーペンターが、自分の「人生のビジョン」を過去形の文章にしていたことを紹介している。カーペンター氏は自分で「人生のビジョン」を作成し、それを文章にしていつでも読めるように書斎のいちばん上の引き出しに入れていた。彼の死後、それを見つけた娘が、葬儀の場で追悼の言葉として参列者の前で読み上げたとのことだ。

(3)元日の遺書を書く
新年を迎えたら、その最初の日に、「この一年間のどこかで自分が死ぬ」という仮定をし、遺書を書く。これが元日
の遺書だ。家族に向けたメッセージ、お世話になった人々への謝意、仕事上の引継ぎ、個人的な申し送り、別れの言葉など、そこに自分の意思をあらわすものだ。
これをすると、自分の一生がそこで終わることを強く実感でき、その時点でやり残していることや本当にやりたいことを明確に意識することができる。そして、家族にそのうちに伝えようと思いながら先延ばしにしていたメッセージがあること。それを伝えるにはどんな言葉がふさわしいのか。この世を去るにあたってお世話になった人々が少なくないこと。謝意を伝えるには、どんな言葉を選ぶべきか…など、仮定の上とはいえ、自分の一生に意図的に幕を引き、いわば総決算をすることで、新しい年に何に注力すべきかを改めて見直すことができる。
経済界のリーダーの中には、元日の遺書を毎年書き改めることを実行している人もいる。そのひとり、竹見淳一氏(日本ガイシ会長)は、元日の遺書を書く動機として、「死生観があいまいだと、物事の認識が甘くなり、何事につけ締りがなくなる」と指摘している。経済界のリーダーに限らず、どんな立場の人にも年頭のイベントとしておすすめしたい。

”『プロジェクトマネジメント学会誌』より転載”