生きることの意味を実現するのには3つの方向がある、Ⅴ・E・フランクルが教えてくれています。その個所を引いてみます(『それでも人生にイエスと言う』)。
「意味は3つの方向で実現できます。人生を意味あるものにできるのは、第1に、何かを行うこと、活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。第2に、何かを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。第3に、第1の方向でも第2の方向でも人生を価値あるものにする可能性がなくても、まだ生きる意味を見いだすことができます。自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられず逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどうふるまうか、その運命を自分に課せられたものとしてどう引き受けるかに、生きる意味を見いだすことができるのです」
私たちは多くの場合、仕事を通じて社会に貢献し、そこにやりがいを見いだすことができます。自分や会社が商品やサービスを生み出し、ユーザーに提供することで、ユーザーに喜んでもらえますし、対価を受けることもできます。
さらに、仕事以外の喜びとして、趣味に打ち込む、英術や文学作品に触れる、自然の美しさに感動するなどの経験を通じて人生を豊かにすることもできます。
しかし、何らかの理由でこの2つの方向で意味を実現することができない場合でも、その状況にどう対処するか、どう引き受けるが、フランクルがいう「態度」の方向です。
ある日本映画を思い出します。病に伏せる老人が夕方、患部に痛み感じるシーンです。すぐに医者に往診を頼もうとする家族を制して伝えます。「先生は今頃、ご家族で夕食を楽しまれているころだから、もう少し待ってからお願いしよう」と。
作家で医師でもある帚木蓬生氏は、身体症状を乗り越えるための身近なヒントとして、①身を忙しくし、暇を作らないことと、②症状を人に言わない、見せない、悟られない、の2つをすすめています。以て瞑すべし。
エッセイ
意味実現の3方向
2020/07/15 中嶋 秀隆