丸谷才一の小説『女ざかり』の映画化された映像をDVDで観た。その中に、吉永小百合が演じる主人公、新聞の論説委員が子供時代代を回想するシーンがある。小学生のとき、宿題で提出した作文に先生から「月並みな表現ですね」というコメントをもらう。「それを読んで、わたしとってもうれしかったんです。お月様のようにきれいな表現だと誤解したから」。主人公は、この誤解のおかげで文章を書くことに興味を持ち、自分は文章を書けるのではという思い込みをし、ジャーナリストの仕事を選んだという。
これと軌を一にする逸話が経営の分野にもある。ある軍隊が冬場のアルプス山脈で軍事演習をしていた。小隊のリーダーが、凍てつくアルプス山脈に数人の部下を偵察隊として送り出した。その直後から雪が振り出し、2日間やまずに降り続け、偵察隊は消息を絶ってしまった。リーダーは、部下をしに追いやったのではないかと思い悩んだ。3日めになって、偵察隊がヒョッコリ戻ってきた。彼らはどこにいたのか?どうやって、道を見つけたのか?彼らが言うには「われわれは道に迷ったとわかって、もうこれで終わりかと思いました。そのとき隊員の1人がポケットになかに地図を見つけたのです。おかげで冷静になれました。われわれは野営し、風雪に耐えました。それから地図を手がかりに、帰り道を見つけ出しました。それで、ここまで帰り着きました」。リーダーが、命の恩人となった地図を手にとってよく見ると、なんと、それはアルプス山脈の地図ではなく、ピレネー山脈の地図であった。(K.E.ワイク『戦略の代替物』)
2つののエピソードには思い込みの効用を端的に語っている。個人でも組織でも、ビジョンがあれば、目標に挑戦したり、危機を乗り越えたりする力がわく。動機づけが高く保たれるからだ。ビジョンは個人や組織に生き抜く勇気を与える。仮にそのビジョンが正鵠を得たものでなかったとしても、である。これをやや広げて考えると、プロジェクトにおいても、人の一生においても、計画の詳細に完璧を期すより、大まかな形の第1案ーープロジジェクトでは「ベースラーン」(基準計画)というーーで開始することが大切だということだ。
ワイクは、上の軍隊のエピソードについて、ビジョンが「人々を元気づけ、人々を方向づける。人々はいったん行動を起こし始めると、目に見える成果が生まれ、次に何をすべきたが見つけやすくなる」と指摘している。