30年近く欧米の会社で働いてきて30代―40代はかなりスキルに特化した活動をしてきました。マーケティングという分野も現実的な結果を要求されますのでいきおいスキルの方に傾いてしまいます。スキルは短期/中期的結果を出すのに有効であり、教養は長期的結果をもたらすのに有効であると思われます。
古典に触れる意義をなんとなく考えていてその存在価値は外山教授によると時の試練によるそうです。だいたい30年から50年を要して濾過されてゆくそうです。60年前には島田清次郎という作家と夏目漱石では夏目漱石の文学に疑問を持つ人が多かったそうです。
古い時代のことはよくわかる。現代はいつの時代でももっとも不可解なものだそうです。その原因はそれまでの考え、それにもとづく流行の色眼鏡をかけて見ているからだとのこと。まわりがひとしくかけている色眼鏡はっきり一時的なものと看破するのが難しいからです。
これはこの5年間の郵政選挙から今回の選挙までの政治の動きにも表れているようです。
もうひとつの原因は新しいものが本来の姿でない姿をさせていないためによるとのこと。時の試練を経させて時間がたてばたとえ微小でも風化がおきる、細部が欠落して新しい性格をおびるようになる。これが古典化の過程だそうです。時の試練は時間の風化作用をくぐるということであり、風化作用はいいかえると忘却にほかならないと言われています。古典は読者の忘却の層をくぐりぬけたときに生まれる。持続的な価値をもつにはこの忘却のふるいはどうしても避けて通ることのできない関所である。この関所は5年―10年という新しいものには作用しない。30年―50年たつと初めてその威力を発揮する。
ちなみにはじめてAMA(アメリカ・マーケティング・協会)でマーケティングの定義が発表されたのは1948年でした。今年で一応61年目になります。