このたび英書『インテグリティ』の翻訳書を『リーダーの人間力』という書名で出版していただきました(日本能率協会マネジメントセンター刊)。訳出の意図二ついては「あとがき」で触れましたが、ここに要約して紹介いたします。ご興味のある方は、是非、お読みいただきたく、よろしくお願いいたします。
国際ビジネスの舞台でリーダーの資質として、いの一番に挙げられるのが「インテグリティ」である。ビジネスのやり取りでは、英語はもちろん、日本語でもインテグリティという語が語られる。だが、この言葉は日本人にはわかりにくい。
これを象徴するかように、インテグリティの訳語としてはこれまでさまざまな日本語があてられてきた。いわく、「誠実」「真摯」「高潔」「品性」「徳」「まこと」等々。それぞれの訳者の苦心のほどが偲ばれる。
ちなみに、上に挙げた訳語のうち最初の三つを『広辞苑』で調べると、「誠実」は「(他人や仕事に対して)まじめで真心がこもっていること」、「真摯」は「まじめでひたむきなさま」、「高潔」は「精神がけだかく、いさぎよいこと。高尚で潔白なこと」と、それぞれ定義されている。本書の定義に照らすと、いずれも、帯に短し……の感を免れない。さらに、日本語の「誠実」という語は要注意だ。有力な問題提起があるからだ。例えば、誠実は「われわれの心情の純粋性と重んじてきた伝統が、主観性に流れ」る傾向を助長し、「自分が『誠実』だと思い込むことにおいて、何をしでかすかわからないという危険性をもっている。」だから、「『誠実』は吟味され(中略)克服されなければならない」(相良亨『誠実と日本人』(ペリカン社)という指摘。
著者ヘンリー・クラウドは、「インテグリティ」を「正直」「道徳」「倫理」などの徳目を超えたもっと広い概念ととらえている。それを説明するために、『オックスフォード英語辞典』に依拠しつつ、そこにある四つの要件を備えた人間性をインテグリティとしている。すなわち、①正直。強い道徳性をもっていること。高潔さ。②分断されていない全体性。③構造が損なわれず、統一された、健全な状態。④電子データの内部の一貫性、損なわれていないこと。そこから、著者はインテグリティを「現実が突きつける要求に応える能力」であり、それは六つの資質から成るとする。その六つの資質が相互に関連しつつ、一種の上昇スパイラルを描きながら、人を成長に導くとのことだ。著者は心理学者で、ビジネス界でもコンサルタントとして活躍している。自身も病院を経営し、ビジネスの修羅場の実体験も豊富で、その一端は本書に紹介されている。また、本書には「私の友人で……」というたとえ話が頻繁に登場するが、身近で説得力に富む実例であり、読者を引き込まずにはおかない。
「インテグリティ」とは一見硬そうな表題だが、内容は身近でとっつきやすく、的を射ている。著者は、現実こそが成果が生まれる場所であり、現実を無視したところには成功も成長・発展もない、と妥協のない姿勢で力説する。しかし同時に、「完璧な人はいない。誰にでも弱点があり改善の余地がある。それを、良いニュースとして素直に受け入れよう。生身の人間であるという証拠なのだから」と、温かい人間観察をしている。この厳しく温かいまなざしと、著者一流のユーモアが本書を説得力と魅力あるものにしている。
本書に出会ったのは三年ほど前のことだ。私的な研究会で手に取り一読した。素晴らしい内容であり、すぐにも訳出して日本の読者にお届けしたいと思ったが、なかなかできなかった。理由は二つある。インテグリティの適訳が日本語に見当たらないことと、私にインテグリティが備わっていないことである。
まず、インテグリティの日本語訳は、時間をかけて探してみたが、見つからなかった。その上で、インテグリティの意味を過不足なく表す一語は日本語にはないようだという見解に行き着き、「インテグリティ」とカタカナ語を使うことに納得した。ちなみに、私が参加している私的な活動(「プロジェクトマネジメント知識体系ガイド」翻訳委員会)でも、インテグリティにあたる日本語は何かという議論が幾度となく繰り返され、いっそ新語を作ろうかというところまで話が進んだことがある。その時ひねり出されたのは「正聖性」(せいせいせい)という語であったが、この造語は未だ日の目を見るに至っていない。
次に、私にインテグリティが備わっていないという事実はいかんともしがたい。そんな私が本書を訳出するのは畏れ多いことである。だがこの点については、「それを良いニュースと受け入れよう。生身の人間であることの証拠なのだから」という著者の指摘に励まされた。おかげで、発展途上人としての覚悟を決め、翻訳にあたることができた。私はこれまでビジネスパーソンとして、多くの外国人と共に英語を使って仕事をしてきている。そのプロセスでは、インテグリティという語に何度も出会い、そのたびにその真意を探ろうと格闘してきた。この拙訳はその作業の中間報告にあたる。
なお、翻訳の責任はすべて私にある。内容がユニークなものであり、私の能力の限界から、思い違いや誤訳があることを恐れている、大方のご叱正をお願いするしだいである。