日本の古典文学について多くの本を残された清川妙さんの『つらい時、いつも古典に救われた』を興味深く読んだ。たまたま目次を斜めに眺めていて「古典のシンクロニシティ」という語に惹かれたからだ。「枕草子」と「徒然草」、「万葉集」を取り上げ、広い視野で人生の機微を語っている。
その中に面白い指摘がある。
「おなじ物と見ても、おなじことを経験しても、それを喜んだり、感動したりする人と、感動もしないし、ときには不平っぽいことを言ったりする人がある。
楽しみ上手、喜び上手と、楽しみ下手、喜び下手は、はっきり分かれているし、年をとるごとにその溝は深くなるようである」
具体例も面白い。若い女性が新聞に投書し、それが紙面に載った。するとある友人は「おめでとう。あなたの名前がパッと目にとびこんできたときはうれしかった。あなたの意見に賛成よ」と祝福した、一方、別の友人は「いつからあなたは投書魔になったの」といったそうだ。
さらに、孫娘を登場させ、その子の言葉を引いている。孫娘が風邪をひき、母親が病院に連れて行った。ところが、混んでいて順番がなかなか回ってこない。母親がイライラしているとその子がいった。「お医者さんは一人ひとり丁寧に診てるんだね、きっと」
清川は「喜び上手」になり、喜ぶ癖をつけるヒントとして、次の3つあげている。
①自分自身が喜ぶこと。さらに、人から誉めてもらったり、贈り物をもらったりしたら「ありがとうございます」ということ。
②人のことを喜んであげること。(私もある人に、弊社のPM公開セミナーが先日、通算で250回を超えたことを話したら、すかさず「おめでとう」といわれたのを、楽しく思い出す。)
③人を喜ばせてあげようという意識を持つこと。
こう考えると、「喜び上手」と「喜び下手」は、楽観主義者と悲観主義者の関係に似ている。グラスに半分のワインが入っているのを見て、「よかった、まだ半分ある」と思うか、「いやだな、もう半分しかない」と思うかだ。
さらに清川は、「楽しみ上手、喜び上手の人とは、自分の心をアクティブに、プラスの方向に向けることの上手な人、たとえマイナスに心が向かおうとしているときでも、自分の意志でプラスの方向にネジを向ける、心のバネのよく利く人」という。ここでいう「心のバネ」とはまさに、今日、ポジティブ心理学がいう「レジリエンス」にほかならない。
エッセイ
「喜び上手」でいこう
2019/06/15 中嶋 秀隆