「出会い」と「あきらめ」

2016/02/16 中嶋 秀隆

「死生学」の推進者・A.デーケン氏が、日本語の単語について、外国人の視点からユニークな卓見を述べておられる。ご著書の中から、2つほどと取り上げよう。
 まず、「出会い」について。「出会い」とは「出て、会う」という。つまり、自分だけの狭い殻からでて、心を開いて人と会うこと。自分の姿勢が開いている (open) ことにより、物事に新たな進展が開かれることを意味している。
 そして、「あきらめ」。デーケン氏は、E.キューブー・ロスが提唱する、死を前にした患者がたどる 5 段階のプロセスに依拠しつつ、「悲嘆のプロセス」の12段階を提示し、その 10 番目の「あきらめ——受容」について説明されている。すなわち、「あきらめる」という言葉には「明らかにする」というニュアンスが含まれている。自分の置かれた状況を「あきらか」に見つめて受け入れ、つらい現実に勇気をもって直面する努力が始まる、とのことだ。
 いずれも、異文化の碩学によるすばらし洞察である。

出典:A.デーケン『よく生き よく笑い よき死と出会う』(新潮社)